「日本の経営」を創る 社員を熱くする戦略と組織
アメリカ礼賛でもなく、旧日本的でもない、新しい日本的経営の形を模索する。過去の反省(アメリカ、日本)と経営の原則、そして新経営スタイルのヒントをぱらぱらと。まとまってはいないが金言が多い気がする。5年後とかに読めば五ツ★な予感がする。
著者プロフィール
- 三枝匡(さえぐさ ただし)
- (株)ミスミグループ本社代表取締役会長・CEO。1967年一橋大学経済学部卒。三井石油化学を経てボスコン(BCG)勤務、75年スタンフォード大学経営学修士(MBA)取得。30代から経営の実践に転じ、赤字会社再建やベンチャー投資など3社の代表取締役を歴任。86年(株)三枝匡事務所を設立。2002年よりまあ現職的なあたり。
- 伊丹敬之(いたみ ひろゆき)
- 東京理科大学総合科学技術経営研究科教授。1969年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。72年カーネギーメロン大学経営大学院博士課程修了Ph.D。その後一橋大学で教鞭をとり、85年教授。この間スタンフォード大学客員教授などをつとめる。2008年より現職。
なんとなくまとめ
フレーズ
今の日本人がつい最近まで中国商品に対してみていた、あるいは今でも分野によっては見ているような見方を、当時(70年代初め)のアメリカ人は日本に対してしていた訳です。
(p.14)
- 国の評価なんて10年そこらですぐかわるもんだな。将来日本が地の底に落ちても日本人だけは経済大国の感覚が抜けきれなかったりとか。
日本の現場を観察してみて私が考え始めたのは、日本の企業がやっていることはアメリカでよく言われている経済合理性のパターンとは違うかもしれないけれど、これはこれで経済合理性がある、ということでした。そう思わないと、戦後の日本の発展はとても論理的に説明できないと。
(p.32)
- 朝鮮戦争特需で弾み車....だけでは説明できんな
私は日本の子会社が、アメリカ本社の単なる植民地みたいに運営されていることを、非常につまらないと思った。アメリカ本社の単なる植民値みたいに運営されていることを、非常につまらないと思った。「俺は社長だ」と言ったって、結局は現地のお頭に過ぎないのかと。多国籍企業といったって、アメリカ本社の会社はあくまでアメリカ人の会社だと。(中略)
現実には本社にお伺いを立てないと動けない組織が圧倒的。つまり、その点じゃアメリカ企業も日本企業もなくて、おたがいさま。だったらわたしの結論は、アメリカ人に日本で現地人として使われるより、日本人として海外で現地人を使う立場の方がいいなと(笑)。
(p.35)
- 就活通じて実感したこと。
「トップクラスの人材が消耗戦の中で切磋琢磨され、各分野で白兵戦の最後に生き残った有力企業がその分野の世界市場を押さえるというパターンを生み出す所まで渡りきって、ベンチャーはアメリカ経済の中で有力な位置づけを確立したと思います。」
「日本では、ベンチャーは大きな存在にはならなかったですね。(後略)」
「日本が国内経済でアメリカと同じベンチャーの位置づけを生み出せるかと言えば、私も自分の経験から見て、非常に否定的です。そもそも、日本のベンチャーには経営技量の低い人が集まり過ぎているんですよ」
(p.42)
- 日本の市場の中で、アメリカそのまんまの(いわゆるシリコンバレー型、もそうだが)ベンチャー企業として生きていくのは無理だとするなら、日本独自の形を模索するしかない
- 日本の経営者云々は、アメリカみたいに経営の専門家層がないということか?
ベンチャーが若者の世界だというのは、とんでもない誤解です。あれは本来、プロ経営者の世界です。
(p.43)
- おおおお。このへんの認識が。。。
真似たら負けるに決まっている。同じゲームを後追いですれば、常に人の尻を追いかけているだけになる。それは戦略論の要諦の一つでもある。
(p.77)
- オリジナルを模索するのが結局は近道/強い
これからユニークな「日本の経営」を創っていくためには、私は抽象化というのをビジネスパーソンが自分自身である程度ちゃんとできるようになるという能力がものすごく大切だと思う。もちろんそれだけじゃだめで、具体化・解凍がないと現実はことが動かないから両方とも大切なんですけど。
(p.107)
- zipとunzipみたいな。たとえ的におもろいかも
文字通り汗を流して生産現場で「作り込む」ことは、アメリカ人など足下に及ばないほど日本人はがんばったのに、その現場手法を一段階高い所から分析し、論理化し、新しい改革論や組織論に敷?*2化し、それで会社をかえていくというような発想は、われわれ日本のビジネスマンは持てなかった。それが今日の日本企業の弱さを招いている面があると思います。
(p.116)
- ふむふむ。今の日本人はどうなの
独自の「日本の経営」を創るとは、これまでの日本企業の経営の背後にかなり共通に潜んでいる経営の原理を明示的に意識して、その原理と新しい環境とのかけ算をすることである。それは、これまでの経営の良さの原理を維持することに繋がるだろう。その原理維持のゆえに、社会としての継続性や安定性が期待できる。
(p.124)
- 暗黙知をさらけ出して、普遍化
創って、作って、売る。
開発、生産、販売というプロセス
事業再生は二年くらいで一応成功したと宣言を出せるくらいのスピードでやらないと、成功しません。二年でできなければ十年経ってもその会社は変われないというのが私の経験で、この言葉は『V字回復の経営』の副題にしたくらい、とても重要です。
(p.240)
- 初速。もし結果出せないことに1年くらいで気づいたらどなすんやろ
歴史は絶対に飛ばないんだと。だけど、加速はできるんです。だから、すべてのステップが踏まれないと、改革というのは進まないんです。
(p.267)
- 人の成長にも言えるかもしれない。というか、その旨のことをセンチのOさんに言われた。がんばろや
経営的人材が育つということについて、3つの条件が整っていると育ちやすいということを、『よき経営者の姿』で書いています。高い志と、仕事の場の大きさと、それからその人が持っている思索の場の深さ、この3つです。
- 高い志というのは、人間の個性みたいなものですから、単純には鍛えることはできません。
- 仕事の場の大きさというのは、経営者が配慮して、ポテンシャルのある人に大きい場をなるべく与えるといったことです。
- 思索の場の深さとは、ものを深く、スケールを大きく考えるための刺激を与えることができると思います。
(p.354, 改変)
- センチの「大きい場」の与えっぷりは異常(いい意味で)
- 下の定義によれば志が高いと言えなくもない
- それでも何か足りない気がする。「行動」系が足りないのか。
志の高い人というのは、心の中ではいつも何か物足りないのだと思います。ここは自分の居場所ではない、これで終わってはつまらない、だから次のことを手がけたいと、常に満たされないものを持っていて、それが原動力になっていると思うんですよ。
(p.355)
- わかる。てことは志が高いの?