生き方


私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない「不安の時代」を生きています。(中略)そういう時代にもっと も必要なのは、「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いではないかとおもいます。まず、そのことに真正面から向かい合い、生きる指針としての「哲学」を確立することが必要なのです。
(p.13)

  • 不安の時代でも幸福の時代でも、そうかも。まじめにやってる人少ない

人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらにして持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身に付けていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。
(p.18)

  • 先天的なものはやはりあるのか

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
(p.24)

  • かけ算なのがポイント。正負がある。

人生は心に描いたとおりになる、強く思ったことが現象となって現れてくるーまずはこの「宇宙の法則」をしっかりと心に刻み付けてほしいのです。
(p.28)

  • 理由付けなどは無粋か。年を取ったり成功が大きいほどこういうことを言う傾向があるな

同じような能力を持ち、同じ程度の努力をして、一方は成功するが、一方は失敗に終わる。この違いはどこからくるのか。人はその原因としてすぐに運やツキを持ち出したがりますが、要するに願望の大きさ、高さ、深さ、熱さの差からきているのです。
(p.43)

  • ツキを呼び込む、とも言うしな。認知科学を持ち出す間でもないかもしれない

あえて合格ラインを高く設定し、思いと現実がぴったりと重なり合うまで、いま一歩突き詰めて取り組んでみる。(中略)
またおもしろいことに、事前に明確に見ることのできたものは、最終的には必ず手の切れるような完成形として実現できるのです。
(p.48)

  • 手の切れるような。いい言葉だ

「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが物事を成就させ、思いを現実にかえるのに必要なのです。
(p.52)

  • 悲観的/冷静になって見るべきは、真ん中の段階のみ。これはいいポイント

私があまり才子を買わないのは、才子というのは往々にして、今日をおろそかにする傾向があるからです。才子はその才知ゆえになまじ先が見えるから、つい、今日一日をじっくり生きる亀の歩みを厭い、脱兎のごとく最短距離を行こうとする。しかし、功を焦るあまり、思わぬところで足を取られることも、また少なくありません。
(p.66)

  • チームとしてみれば、一人はいてもいいかもしれない。先の「悲観論」の割合と同じで。

答えは常に現場にある。しかしその答えを得るには、心情的には仕事に対するだれにも負けない強い情熱や、深い思い入れを持つことが必要である。そして物理的には、現場を素直な目でじっくりと観察してみる。じっと目を向け、耳を傾け、心を寄り添わせるうちに、私たちは初めて「製品が語りかけてくる声」を聞き、解決策を見いだすことができる、と。
(p.72)

  • 熱意を持ち、素直に見る。

事業の「原理原則」はどこにあるか。会社の私益やメンツにあるのではない。それは社会や人の役に立つことにある。利用者にすぐれた製品やサービスを提供することが企業経営の根幹であり、原理原則であるべきだ。
(p.88)

  • シンプルな法則。最終目的。存在意義。

情報社会となり知識偏重の時代となって、「知っていればできる」と思う人も増えてきたようですが、それは大きな間違いです。「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが、現場での経営なのです。
(p.101)

  • 頭でっかち上等、ただし現場で揉まれる覚悟があれば。

物事を成就させ、人生を充実させていくために必要不可欠なことは「勤勉」です。すなわち懸命に働くこと。まじめに一生懸命仕事に打ち込むこと。そのような勤勉を通じて人間は、精神的な豊かさや人格的な深みも獲得していくのです。
(p.158)

  • まじめな姿勢が第一か。

私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学を一言で言うなら、「足るを知る」ということであろうと思います。また、その知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにした、他人を思いやる利他の行いであろうと思います。
(p.202)

生命は偶然の重なりではなく、宇宙の意思による必然の所産である。こういう考えは格別珍しいものではありません。前述した筑波大学名誉教授の村上和雄先生は「サムシング・グレート」という言葉で、大いなる創造主の存在を明言されています。
(p.222)

まったく奇跡というべきで、何らかの偶然によって自然に出来上がったものとは考えにくい。人間の想像をはるかに超えた、宇宙全体をつかさどっている「何か偉大なもの」の存在を想定しないと説明がつかないー村上先生は、そういう存在を「サムシング・グレート」と名付けたのです。
(p.224)

  • あの人を引き合いに出すか。。。
  • 「自然に出来上がったものとは思えない」ほどの複雑さを持つものは神の仕事、というのは思考停止ちゃうんかな...