「知の衰退」からいかに脱出するか?
しかし現代の日本は、個人、あるいは一部の企業の能力は一定の水準にあるものの、集団知が著しく低い。場合によっては、その形成すらできない状況に陥っているとしか私には思えないのである。
(p.18)
- 日本人どんどんアホになっりょん
私の海外での講演料は5万ドル(プラス渡航費、滞在費)である。なぜあえて金額を記すかというと、これが市場価格だからだ。そして、この金額とは言わないが、たとえワンレクチャー5000ドルでも良いから、1人ぐらい、私の後に続く金を稼げる人が出て来て欲しいと思っているからだ。日本の経済規模から言えば、おカネをとって世界中で話が出来る人材が100人くらいいてもおかしくない。
(p.74)
- 言われてみれば大前さんくらいなのか。。
世界が原子炉に頼ると言うことはすなわち日本がその主導権を握ることを意味する。
(p.112)
- 日本がエネルギー大国となる道は、原子力にあると説く。先入観に縛られて可能性をマジメに検討していなかった自分に気が付く。
それは、日本人が偏差値教育によって、問題解決能力をなくしてしまったということだ。どうしたら問題を解決できるか、どうしたらうまくやっていけるかという思考が、日本人の頭の中から消えてしまったのである。
どういうことかというと、考えるためのプロセスが頭の中になく、答えだけを知りたがり、その答えが「リスキー」と教えられると、それを疑いもなく信じてしまうのだ。
(p.133)
- 答えを知りたがる思考。検索思考。ググれ。
レーガン以降、アメリカ人の多くは会社がひけたあとに集まっては、そのまま夜の9時、10時まで、401k(米国の確定拠出型年金制度)の運用、株式投資、投信などを本当に真剣に勉強していた。
(p.144)
- こういった集団的な突進力というか、本気になる能力というのが民族的に欠けている?
- 本当に必要なのは何か?勉強すべき対象を絞って。というプロセスへの過剰傾倒もまた問題
実は源泉徴収制度というのは、戦時中に政府が戦費を調達しやすくするためにできた制度で、これによって、政府は国民の所得を容易に把握できるようになった。これによって国民は、働いてただ税金を納めるだけの「納税マシーン」にさせられたのだ。
(p.154改変)
- それが残ってんのか。教育基本法といいなんで動きがのろいのだろう
...した"B層"の多さによって、「国民はバカだから複雑なことは考えられない。争点を単純化すれば勝てる」ということが証明されてしまった。
(p.167改変)
- マルバツの二者択一になってしまう。
結局、「○×」しか訴えない政治家、「○×」以外を好まないマスコミ、「○×」以外を聞きたくない国民、この3者がそろって、日本を衰退させてきたのである。
(p.197)
- どこか一つを絶ったとして潮流を変えることは可能?
本を読むのに必要とした時間を1とすれば、5くらいの時間を『何が書いてあったのか』『それは自分にとってどういう意味があるのか』『自分の会社にとってどういう意味があるのか』『我々の社会にとってどういう意味があるのか』、そういうことを考えることに充てなさい
(p.210)
- 速読、多読すりゃいいってもんじゃない
- その意味で、書評というか『自分にとっての意味』を考えるブログ記事を書くのは良い習慣
私の頭の中には現在、50-60ほどの棚がある。そして、新しい情報が入ってきたときに、棚に置いておいた情報を引っ張り出してきて、合成し、そして最後に必ずこう自問自答する。
「ようするに、これってどういうことなんだ?」
こうして初めて、「自分なりに加工した情報=新しい考え」が出てくるのだ。しかも、「ようするにこういうことなんだ」と、いったん考えたことで、それが個別の「知識」としてではなく、「文章」として頭の棚に入っていく。
(p.232)
- やわらかく書いているが物事の学習に関して大事な点だと感じた。
- 「知識」と「文章」を対比させる使い方は新鮮。
- 毎週土曜日に3時間ほど時間を作り、自分が感心のあることについてGoogle検索
- その結果つまり「ようするにどういうことか」「私ならこう考える」をレポートにまとめる
- これもブログアウトプットだな。
- 時間を決めて集団勉強会とかいいな
- 毎週やりたい勉強をやるあたりがいい。飽きっぽいので。
現在の日本人に必要なもの
- 自分で考える力
- 考えたことを実行する勇気
- 結果が出るまで続ける執念
(p.258改変)
- 執念足りてねえ
中国に行くたびに驚かされるのは、すべての国民が強い上昇志向を持っていることだ。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で書いた、あのような状態が今の中国にはある。平たく言えば、中国人はみな「立身出世」願望の固まりである。
(p.285)
- 国の発展にはフェイズがあるとはいえ。
教育でもっとも大事なことは「今後どうやってメシを食っていける人間を作るか」である。
そのためにはまず「社会性を身につけ」させ、その後、最低限「メシを食っていく手段を身につけ」させなければならない。
前者は義務教育の役目であり、後者は主に大学の役目である。
ところが、この2つのコンセプトが日本の戦後教育ではいちばん欠けている。とくに大学は、「高等職業訓練学校」だと割り切るべきなのに、文科省は中途半端にアカデミックなものにしてしまった。(中略)その結果、大学は大人達の"象牙の塔"、学生の"レジャーランド"と化してしまった。
したがって、いまや日本の大学を出ても「メシを食っていく手段」は何も身に付かない。(中略)日本では就職してから初めて職業訓練が始まる。
これは、世界的に見ても希有なことだ。
(p.308)
- やばい的確すぎる。
- ちょっとひねった視点で見てみた。この本を読めるだけの日本語力がある外国人ならばこれを読んで「日本に留学すまい」という判断を下せる。同様に、海外リソースを読み解くだけの英語力があるとないとでは大違い。
「メシを食っていく手段」には、"三種の神器"がある。それは「英語」「ファイナンス」「IT(それを駆使した論理思考、問題解決法を含む)」で、この3つは必須科目である。(中略)もう一つ付け加えるなら「リーダーシップ」である。
(p.312)
そもそもITというのは、基本的にはビジネスのソリューションである。
(p.346)
- エニグモ創業者が情報系の研究->ビジネスへの志向転向したことと類比
中国の成長の要因は一にも二にも外貨導入。
(p.387)
モノづくりの中心地は中国に移り、金融の中心地は香港とシンガポールとなり、IT産業の中心地はインドに移ってしまっているからだ。となると、いったい、日本は何の中心なのだろうか?
(p.394)
- 切ない。
- 金融が香港とシンガポールとな。勉強勉強
その(Googleで得られる)知識の一部を百科事典みたいに身につけた人を、司馬遼太郎的、あるいは立花隆的教養人と呼ぶとすれば、そうした人々は、この21世紀、尊敬はされるが価値は生み出さないと言っていい。
(p.419)
- 尊敬する人々。でも「なろう」としてはいけない。時代。む。。。