ベンチャ−の創造なくして日本の再生はない

ベンチャーの創造なくして日本の再生はない

ベンチャーの創造なくして日本の再生はない

ベンチャ−企業の定義
1. 大企業の支配を受けない、主体性と個性を持った、未公開・未上場企業
2. 独自の技術やサ−ビス、あるいは新商品開発を武器に事業展開する企業
3. チャレンジ精神と行動力にあふれ、成長と発展を重視するカルチャ−を持つ企業
4. 株式公開・上場への意向をもつ企業
(p.15)

アメリカでは、20年以上も前から、誰でもIPOできるかわりに、ダメになったらすぐ退場するル−ルが徹底されていたのだ。
(p.48)

企業に対して"融資"する銀行も、"投資"するベンチャ−キャピタルも、資金を提供するという点では同じだが、その立場と本質は、まったく異なる。
融資の場合、銀行と企業の関係は、債権者と債務者である。"債権者"だから、銀行には、法的に債券(つまり融資)の保全・回収義務がある。世間では、企業の業績が悪くなると銀行は、貸し渋ったり、返済を要求すると批判するが、融資は債権なのだから、銀行にとっては当然の行為である。
これに対し、ベンチャ−キャピタルの投資は、債権ではない。企業の株主になることだから、投資する経営者の側に立つことになる。(中略)
だから、銀行と同じ基準で、銀行が融資するからベンチャ−キャピタルも一緒に投資する、ということはありえない。銀行の融資で足りない分を、ベンチャ−キャピタルが補うという協調も、思想的にありえない。
(p.59)

日本でも、アメリカクラスとは言わないが、個人の独立系ベンチャ−キャピタルや、"エンジェル"と呼ばれる個人投資家を増やしていくことが、大きな課題である。そうすれば、リスクマネ−の供給に、幅と厚みを持たせることができる。
(p.82)

事業成功の秘訣は、ユ−ザ−の側に立って発想することだ。市場は、すでに既存の会社に占められている。ベンチャ−企業がそこに食い込むには、潜在的な需要をり起こすしかない。そのためには、ユ−ザ−がなにを求めているか、何があれば利便性を高めるのか、といった視点で考える必要がある。
(p.111)

ベンチャ−キャピタルはいかにあるべきか
1. ベンチャ−キャピタルとベンチャ−企業は、「利害損失を共有する関係」との基本認識に立つ
2. ベンチャ−キャピタルの経営は、「統計学的考え方」に立つ。
3. 「はやり・すたり」と時代の流れを錯覚して投資しない
4. 投資配分には思想が必要。「ロマン」がなければ、真のベンチャ−キャピタルとして胸を張れない。
5. 高いレベルの「ハンズオン」で、ベンチャ−企業と新たな関係を。
6. ベンチャ−キャピタルこそ、最も「ベンチャ−的カルチャ−」を発揮すべきだ。
(p.146)

日本の起業率は1.8%で、世界最低だ。これは、アメリカの5分の1以下にすぎない。中国は日本の7倍、韓国は8倍も、新たな企業が誕生している。早急に多すぎる規制を撤廃し、大学教育を革新し、"サクセス・スト−リ−"が可能な日本に、変える必要がある。
(p.190)

"先生ベンチャ−"の典型は、「企業」としてのプレゼンテ−ションなのに、「事業」の説明はなく、「技術」の説明に始終していることだ。
(p.197)

起業というものを、「創業者の資金が貯まってから行う」という発想から、「アイデアが頭の中に生まれたら行う」という発想に、完全に切り替えさせることが肝心だ。
(p.220)

明治維新が進行している最中は、当時の人たちにとって、まさに「失われた10年」だったにちがいない。
(p.245)

歴史的に見ると、日本は、これまで大きな転換期を、新しい発想や価値観を進んで受け入れることで、乗り切ってきた。多様で柔軟だからこそ出来た、日本の強さである。(中略)
日本は、いま、まさに時代の変革期だ。将来の柱となる、数多くの新事業の創造と、その担い手としてのベンチャ−企業の台頭。そして、ベンチャ−スピリットとベンチャ−キャピタリスト的発想をみなぎらせる。そこから日本は変わり、再生していくと、私は確信している。
(p.251)