サルになれなかった僕たち―なぜ外資系金融機関は高給取りなのか/ジョン・ロルフ(2000_2001邦訳_2007文庫)

サルになれなかった僕たち―なぜ外資系金融機関は高給取りなのか

サルになれなかった僕たち―なぜ外資系金融機関は高給取りなのか

「われわれは資本市場を活性化している!」
「われわれは産業界の血液である!」
「われわれは商業価値を最大限に膨らませる手伝いをしている!」


それはほんとうだろうか?投資銀行は本当に気前のよすぎる資本主義経済システムから利益を吸い取る以外のことをしているのだろうか?答えは、いちおうイエスだ。資本主義は完璧ではない。資金が必要な者と、投資したい者は、互いに見ただけじゃわからない。ある企業や特定業種の企業を買い取りたいと思うものは、売り手を知っているとは限らない。企業の価値を評価するには、独立した第三者機関が必要になることがある。しかし、多くの投資銀行マンが理解していないのは、彼らが提供しているサービスの価値が、いかにはかないものであるかということだ。マスコミにインターネットと、情報源の数が増え続け、情報の入手がより容易になりつづければ、情報を提供して手数料を取るという投資銀行の営業形態は間違いなく破綻する。
(p.148)

1929年の大恐慌の前には、バンカーはありとあらゆる粗悪なヤクを一般大衆に売っていた。その粗悪なヤクは"証券"と呼ばれていた。それはまるで小麦粉を個袋につめて、上質のコカインだといって売るようなものだった。客は文句を言わなかった。買ったものを実際に使いはしなかったし、そもそもそれがなんだか知らなかったからだ。そしていつでもバカに輪をかけたバカがいて、彼らが買ったものを買った値段より高く買ってくれたりしたからだ。


ところがある日、どこかの誰かがその粉を吸ってみて、それがコカインなんかじゃないことに気付いた。インチキ・ヤクだったことに気付いたのだ。その男は、友達二人にとてもいいヤクを見つけたと嘘を言って、そのインチキ・ヤクを売り払った。今度はその二人がブローカーを呼び、小麦粉入りのニセ・ヤク袋を売却し、それぞれ二人の友達に同じように話をした。まもなく誰もが小麦粉を売ろうとしはじめた頃には、買い手はいなくなった。こうして大恐慌が起きた。ゲームオーバーだ。


このスキャンダルを受けて、政府は身勝手なバンカーと、疑うことを知らない大衆に小麦粉入りの子袋を売りつけた道徳心にかけるその部下たちを、常に監視下に置くことにした。そのために、ルーズベルト大統領の命を受けた官僚たちが、33年の証券法と34年の証券取引法という立法措置を通じて金融界の革新をはかった。その一環として、両法に基づいて証券取引委員会(SEC)が誕生した。現在、合衆国内の証券発行に関するほとんどの問題を、ここが管理している。
(p.260)