発信力 頭のいい人のサバイバル術
- 作者: 樋口裕一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/02
- メディア: 新書
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まなめさんがおすすめしてたので読んでみた
しかも、日本社会で勉強するということは、受信能力を高めるということだ。受信能力を高め、知性を身につければ身につけるほど、「ナンパ」などという下品な発信行為はできなくなる。そこまでではなくても、恋愛し結婚にたどり着くには、自分の欲望や感情を表に出して相手にわからせ、最終的には異性を口説くなり、口説かれる意志があるということをわからせる必要がある。あるいは、揺さぶりをかけて相手の心を確かめたり、相手をじらしたり、欲望を高めたりといった発信テクニックが必要だ。だが、そのような発信力を身につけていない。それを恥ずかしいことだと思っている。教育を受けることによって、うぶな時代に持っていたはずの発信力さえも捨ててしまっている。
(p.53)
- 結婚率の低下を発信力にあてはめるのは無理があるが、兼ねそろえた人を見ないのも確か
何かの情報に接するとき、書こうという意志がないと通り過ぎていく。ところが、それについて何かを書こうという意識があれば、その情報が身に入る。それを利用して何かを書こうとする。盗んでやろうと思ったり、それをヒントにして自分なりに考えたりする。そうするうちに、知識として身についていく。思考力もつく。他人に伝えたい気持ちも高まってくる。
(p.69)
- あるある。ネタを日常に探すようになる。
- とくに僕は口下手なので、あらかじめ自分の考えを文章に落としておくことでリアルでも話しやすくなるという点もでかい。
自分作りは一つのボディビルディングに近い。自分の肉体を理想の形にするために、意識的に自分を作るように、自分の精神を形作っていく。
(p.78)
- 自分探しではなく自分作りか。いいなそれ
人を批判するとき、自分のことは棚に上げるのが原則だ。そうしないと、ほとんどの人が何も批判できない。
それに、もし自分がどうであるかによって他人を批判できたりできなかったりすると、むしろ他人を批判するということは、その人よりも自分のほうが優れていると判断していることになってしまう。
(p.96)
- 自己棚上等。意見だけを人格から切り離して見るようにしたいものだ
発信するために必要なのは、ある種の遊び心だ。既成の道徳を信じ切ってそこから外れるものを嫌うのではなく、もっと自由に物事を考え、さまざまなことをおもしろがり、好奇心旺盛になってさまざまの考えを知ろうとする心だ。そうしてこそ、新しい発想が出てくる。
(p.111)
- 老人になっても、というか社会的地位を確立してもこの精神を持っていられるかどうかがある意味分かれ目。
みんなにウケようと思ったら、当たり障りのないものになってしまう。本当に個性的で、これからの時代を作るようなものであれば、反対する人間も多いはずだ。理解してくれない人間も多いはずだ。だが、そのような人々を気にしていたら、いつまでもしっかりした発信が出来ない。
(p.128)
- 外れる度胸と打たれる覚悟。ネガコメにびびると毒にも薬にもならない記事しか書けない