多電子波動関数と演算子

新しい量子化学―電子構造の理論入門〈上〉

新しい量子化学―電子構造の理論入門〈上〉

この章では、量子化学の基本的な概念、手法、および記法を紹介する。多電子演算子(たとえば、ハミルトニアン)の構造と多電子波動関数の形式(Slater行列式とそれらの線形結合)を考え、演算子のSlater行列式間の行列要素の値を求める手続きについても述べる。Hartree-Fock近似の基本的な考え方も紹介する。これによって、後の章でHartree-Fock法およびそこを出発点とするより複雑な種々の方法を詳しく扱う際に役立つように、この章の題材を発展させていくことができる。

2.1節では、電子状態に関する問題を定式化する。すなわち、固定した核の点電荷のつくる場の中での電子の運動を記述する問題である。これは量子化学の中心的問題のひとつであり、この本の中ではこの問題だけを取り扱う。非相対論的な、かつ時間に依存しない核の運動を含むSchrodinger方程式から出発して、Born-Oppenheimer近似を導入する。ついで、"反対象性原理"と呼ばれるPauliの排他原理の一般的な表現について議論する。反対象性原理とは、任意の二つの電子の交換に関して多電子波動関数が反対象でなければならないということである。

2.2節では、1電子関数(空間、およびスピン起動)について触れ、それを使って多電子関数(Hartree積、Slater行列式)をつくる。系の正確な波動関数を1つのSlater行列式で近似してしまうHartree-Fock近似を考え、その定性的な性質を記述する。ここでひとつの単純な系、つまり水素分子の最小基底関数系(各原子上に一個の1s軌道だけを置く)を用いた非経験的モデルを導入する。

2.3節では、量子化学に出てくる1電子、および2電子演算子の形と、それらの演算子のSlater行列式間での行列要素を求めるための規則を考える。行列要素のスピン軌道を使った表現から、空間軌道を使った表現への変換も議論する。終りに、1個の行列式のエネルギーの表現を得るための、記憶を助ける工夫に触れよう。

2.4節では、生成、消滅演算子第二量子化の方法を紹介する。第二量子化は、Slater行列式を扱うひとつの方法である。この定式化は、多体問題の文献の中で広く使われている。しかしながら、第二量子化はこの本の残りの大部分を理解するのに必要と言うわけではない。したがって、この節は飛ばしても支障なく先に読み進むことができる。

2.5節では、多電子系における電子スピンとスピン演算子を議論し、制限つき、および非制限スピン軌道、そしてスピン対象性を満足する配置を扱う。スピン対象性を満足する配置は、制限つきスピン軌道からつくった1個の行列式の多くのものと違って、全電子スピン演算子の正しい固有関数となっている。1重項、2重項、および3重項のスピン対象性を満足する配置、および全電子スピン演算子の固有関数ではない非制限波動関数が紹介される。

(p.41: 二章まえがき)