ドグラ・マグラ (下)


ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)
ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)夢野 久作

おすすめ平均
starsお父さん、この間あの石切り場で、ぼくに貸して下すった絵巻物を
stars人間はどこへゆくのか
stars文章だけで人を狂わせる事は可能である(;'Д`)ハァハァ
stars人間が書いたものに思えない
stars正木博士vs若林博士vsあなたの脳

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それを見たときに私は、どうしても一切が現実としか思えないことを自覚せずにはおれなかった。たといそれがドンナに不思議な、または、恐ろしい精神科学的現象の重なり合いであるにせよ、私自身にとってはけっして、夢でもなければうつつでもない、たしかに実在の姿をこの目で見、実在の音をこの耳で聞いていることを確信しないわけにいかなかった。......その確信を爪の垢ほども疑う気になれなかった。
(p.179)

すなわち宇宙間一切のガラクタは皆、めいめい勝手な心理遺伝と闘いつつ、植物・動物・人間と進化してきたもので、コイツに囚われている奴ほど自由の効かない下等な存在ということになる。だから思い切って今のうちにキレイサッパリと心理遺伝から超越しちまえ。ホントウに開放された青天井の人間になれ...という宣言(プロパガンダ)を、新木のまま民衆にタタキつけたのがキリストで、オブラートに包んで放りだしたのが孔子で、おいしいお菓子に仕込んで、デコデコと飾り立てて、虫下しみたように鐘や太鼓で囃し立てて売り出したのがお釈迦様ということになるんだ。
(p.217)

もちろんこうした治療法を試みるには、相当の頭がいる。すくなくとも今までのように当てズッポーの病名を付けて、浅薄な外科や内科の療法を応用したり、そいつがうまく当たらなかった時には縛り上げたり、監禁したりなぞ、原始時代をそのままの手当を試みたりするような低級な頭では駄目の皮だ。今後の世界において行わるべき、正しい精神病の治療というものは、そんな曖昧なもんじゃない。すなわち精神というものの解剖、生理、病理の原則を、心理遺伝に照らしてドン底まで理解すると同時に、開放されている患者の自由奔放な一挙一動によって、その心理遺伝の夢中遊行発作が、いかに推移し変化しつつあるかを隅から隅まで看破しつつ、適当な時期に、適当な暗示を与えて、一歩一歩と正しい時間と空間の観念...正気に導いていくだけの鋭敏さを持った頭でなくちゃならぬ。
(p.246)

仮にある人間が、一つの罪を犯したとすると、その罪は、いかに完全に他人の眼から回避し得たものとしても、自分自身の『記憶の鏡』に残っている、罪人としての浅ましい自分の姿は、永久に拭い消すことができないものである。これは人間に記憶力というものがある以上、やむをえないので...(中略)
この記憶の鏡に映ずる自分の罪の姿なるものは、常に、五分も隙のない名探偵の威嚇力と、絶対に逃れ途のない共犯者の脅迫力を同時にあらわしつつ、あらゆる犯罪に共通した唯一、絶対の弱点となって、最後の息を引取る間際まで、人知れず犯人に付纏ってくるものなのだ。
...しかもこの名探偵と共犯者の追求から救われ得る道はただ二つ『自殺』と『発狂』以外にないと言ってもいいくらい、その恐ろしさが徹底している。世俗にいわゆる『良心の呵責』なるものは、畢竟するところこうした自分の記憶から受ける強迫観念にほかならないので、この強迫観念から救われるためには、自己の記憶力を殺してしまうより他に方法はない...ということになるのだ。
(p.270)

...何もかもが胎児の夢なんだ...あの少女の叫び声も...この暗い天井も...あの窓の日の光も...否々...今日中の出来事はみんなそうなんだ...。
...おれはまだ母親の体内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ...。
...そうしてこれから生まれ出ると同時に大勢の人間を片ッ端から呪い殺そうとしているのだ...。
...しかしまだ誰も、そんなことは知らないのだ...ただおれのモノスゴイ胎動を、母親が感じているだけなのだ。
(p.374)