好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)
講談社 2008-06-13
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好き好き大好き超愛してる。

祈りは言葉で出来ている。言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、全て終わったことについて、僕たちが祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。
(p.8)

もちろん言うまでもなく柿緒が今はもう僕のことを好きではなくなったということではない。僕達の<<恋愛>>が過去になったのは、<<柿緒>>が過去のものになったからだ。
死はこんなふうに始まるんだ、と僕と柿緒は知る。
(p.158)

僕は確かに小説に書いておきたいと思った。でも僕はそれをそのままの形で日記みたいに書き付けたいと思っているわけではない。それでは僕が書く場合小説にならない。僕は本当に起こったことは書かない。僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ。そういうことを書きながら、実際に起こったことや自分の言いたいことをどこかで部分的にでも表現できたらと思っている......というより願っている。だからやはり賞太は間違っている。僕が見たものは僕が書かないものなのだ。柿緒の死はそれが実際に起こったようには書かない。
(p.161)

ドリルホール・イン・マイ・ブレイン

そのせいで、脳の動きが判るようになったことだ。脳はボウルに入った豆腐みたいにボタッとしてはいない。脳は頭の中で蠕動している。地球の内部のマントルやらと一緒だ。半液体になって少しずつ動いている。右脳も左脳も大脳も小脳もない。あるのは脳というひとまとまりで二リットルほどのヨーグルトで、こいつらは時給日給をもらって働くバイトどもだ。ある場所にいる時には論理について仕事をして、別の場所にいるときには記憶を担い、また別の場所にいる時には言語能力をつかさどる。脳細胞なんてフリーターの集まりだったんだ。
(p.205)

内側と外側が同一だったら、その境界にはどういう意味があるんだろう。俺を隔てた内側と外側が全く同じものならば、俺は内側と外側の二つの世界を分けるただの面で、その面は<<内側でもない>><<外側でもない>>という非存在の存在として生きていることになる。俺に存在価値はそもそもなく、存在すらしていないも同然で、でもじゃあどんな人間も、内側に世界を抱えていて、それは外側にある世界とほとんど変わらなくて、内側と外側の境界としてしか存在してなくて、存在していないも同然なんだろうか?
(p.241)

困ったなぁ。ないということにしておいた世界を救う方法がちゃんとあった。やり過ごすことにしておいた世界の終わりがやり過ごせなくなってきた。そりゃそうだ。どうしても世界は僕に世界を救わせるつもりなのだ。逃れられない。全てのタイミングは世界が握っている。世界を救えるチャンスが必ず残されている。ここでは電話一本だ。ワンコールで世界は救われる。
(p.250)