日本という方法 -おもかげ・うつろいの文化-

日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)

日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)

私は、このような問答があるたびごとに、日本のよさやおもしろさというのは、必ずしも「自信」や「強さ」や「一貫性」にあるわけではないと話してきました。歴史のなかのどこかに強いナショナル・アイデンティティの軸の確立があったわけではなく、また数人の思想家や芸術家によって日本を代表するイデオロギーが確立されていたわけではないと私は思っています。
(p.9)

  • 他国はそうなのか?アメリカはわかりやすいが...

日本はたしかに一途なところはあるのですが、それとともにたいそう多様な歴史を歩んできました。日本は「一途で多様な国」なのです。
(p.10)

  • 日本人だからそう言えるという面はないか

日本にはいくつもの独創的な「編集文化」があったということを伝えてみたいからです。
結論を先にいいますと、そのことを本書ではできるかぎり「日本の面影」というキーワードを挟みながら案内したいと思います。またそのために「うつろい」という見方を組み入れてみようと思います。
(p.13)

  • あまり組み入れられていない件

そもそも考えることや書くことも、私は編集行為だと思っています。本書ではまったくふれませんが、負のエントロピーを食べて非線形的なふるまいをしている生命体の活動の本質がもともと情報編集なのだというのが、私の見方なのです。
(p.20)

蛹(さなぎ)の不思議は日本だけでなく、世界各地で注目されました。古代ギリシアには魂を表す「プシュケー」という言葉がありますが、これも蛹という意味です。日本とほぼ同じです。プシュケーはギリシア語ですが、これがヘブライ語では「ネフェシュ」、ラテン語では「アニマ」で、やはり蛹のような空洞に生じたスピリットのようなものを意味します。
(p.95)

  • 蛹ぱねぇ
  • この辺の古代の言葉知ってるとアタマ良さそうにみえる

さて、これでいろいろなことがつながってきました。
私たちの「常世」と「無常」の感覚は対応していたのです。神話伝承ルートから仏教思想ルートからも交差していたのです。それがさらにウツとウツロイの語幹編集と大いに交わり、そこに、肯定と否定の関係を、凸と凹の関係を、浄土と穢土の関係を、「はか」と「はかなし」の関係を、さらには「浦の芦屋」と「花も紅葉も」をも、それぞれリバース・モードにしていたのです。
(p.111)

  • ひっくりかえす編集力

万葉仮名の羅列のなかで、宣長初めて古代日本人の頭の中にあった意向と意表というものを想定して、ついに『古事記』を日本語で再生したのです。知的創造力で解いたのではありません。本来から将来に向かって日本語がそのようになろうとしたしくみを解明して、再生したのです。
(p.211)

  • プロセスに着目したと言うことか

なぜこれほど外国対策に苦労するかといえば、答えははっきりしています。日本が「海国」であるからです。しかし海国であるのに、海国らしからぬ歴史を歩んできたのです。
本来は、安心して海国であることを満喫するには、よほどの航海術と造船術と兵力に富んでいなければなりません。
(p.214)

  • 今にまで影響与えているのか