坂の上の雲(七)

新装版 坂の上の雲 (7) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (7) (文春文庫)

日本砲兵が射撃に優れているのは、民族的能力として計算力が達者だったからであろう。この点、ロシア砲兵の計算能力は一般的に劣っていた。
日本砲兵の小銃による狙撃能力のへたさも、民族的性格かもしれなかった。小銃射撃には計算などは必要なかった。気の走った人間が概してへたであった。
(p.121)

津野田は、まず射撃をおさえる号令をかけ、次いで敵が500メ−トルに迫ったとき、引き金を引きっぱなしの薙射を命じた。
薙射という用語はこの当時の機関銃操法にはなかった。津野田自身の手記では、
「いっせいに、薙げぇっ」
という号令をかけた。
この「薙げ」によって、ロシア軍は文字通り薙ぎ倒され、全軍がはじめて伏せの姿勢をとり、動かなくなった。
(p.134)

門中尉はやや高所にのぼって前方の運河左岸を展望したとき、生涯忘れがたい光景を見た。
「雲霞のごとき大軍」
としか形容するほかないほどのロシア軍の大軍が退却しているのである。(中略)
追撃というような考えは瞬時もうかばなかった。それよりも動物的恐怖心としかいいようのない衝撃 ― もしこの大軍がわが方にむかって逆襲してくれば日本軍はどうなるのか ― ということだけが、全身をとらえつくしていた。
(p.147)

それに対して、日本軍のあらゆる火砲が、曳火*1弾をもって瞰射*2した。目標も距離も測る必要もなく、大地に向かって撃てばかならず命中するといった状況で、(中略)ロシア戦史上類のない敗戦を現実した。(中略)この敗戦はかれらの戦闘ぶりがまねいたのではなく、かれらがクロパトキンに棄てられたとみるべきであった。
(p.162)

ロシアは奉天までの陸戦の失敗を外交面ではあくまで認めず、このため、日露両国の運命はきたるべき海戦に賭けられることになった。戦争というものが劇的構成をもっていた時代における最後の、そして最大の例としてこの戦争は歴史的位置を占めるが、その中でも最も大きな劇的展開へ事態は向かいつつあるようであった。
(p.255)

「長官は、バルチック艦隊がどの海峡を通って来るとお思いですか」
小柄な東郷は座ったまま島村の顔をふしぎそうにみている。質問の背景を考えていたのかもしれず、それともこのとびきり寡黙な軍人は、打てばひびくような応答というものを個人的習慣としてもっていなかったせいであるかもしれない。やがて口を開き、
「それは対馬海峡よ」
と言い切った。東郷が、世界の戦史に不動の位置を占めるにいたるのはこの一言によってであるかもしれない。
(p.306)

*1:えいか

*2:かんしゃ【瞰射】 (名) スル 高所から見下ろして射撃すること。