坂の上の雲(一)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)


秋山信三郎好古(よしふる): 幼名「信さん」
秋山淳五郎真之(さねゆき): 幼名「淳さん」
正岡子規: 幼名「升(のぼる)さん」

この秋山好古という若者は、のち軍人になり、日本の騎兵を育成し、日露役のとき、世界でももっとも弱体とされていた日本の騎兵集団をひきい、史上最強といわれるコサック師団をやぶるという奇蹟をとげた。
(中略)
この当時の好古にすれば、
「あしは、食うことだけを考えている」
それだけであった。士族が没落したこんにち、伊予松山の旧藩士族の三男坊としては、どのようにして世を渡ればひとなみに食えるかということだけが関心であった。
(p.43)


好古は、学費が無料というだけの理由で、士官学校の第一期生として入校、騎兵を専攻する。

  • 修業年限
    • 第一学年
      • 代数、幾何、三角、力学、理学、化学、地学といった基礎学科
      • 歩兵、騎兵の教練
    • 第二、第三学年
      • 兵学、軍政学、築城学、兵器学、地理図学、交通通信学といった専門課程

ロシアと戦うにあたって、どうにも日本が敵しがたいものがロシア側に二つあった。一つはロシア陸軍において世界最強の騎兵といわれるコサック騎兵集団である。
いまひとつはロシア海軍における主力艦隊であった。
運命が、この兄弟にその責任を負わせた。兄の好古は、世界一ひ弱な日本騎兵を率いざるをえなかった。騎兵はかれによって養成された。かれは心魂をかたむけてコサックの研究をし、ついにそれを破る工夫を完成し、少将として出征し、満州の野において凄惨きわまりない騎兵戦を連闘しつつかろうじて敵をやぶった。

弟の真之は海軍に入った。
「智謀沸くがごとし」といわれたこの人物は、少佐で日露戦争をむかえた。
それ以前からかれはロシアの主力艦隊をやぶる工夫をかさね、その成案を得たとき、日本海軍はかれの能力を信頼し、東郷平八郎がひきいる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。東郷の作戦はことごとくかれが樹てた。
(p.76)

要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけでなく、帰国したのちは好古自身がその建設をしなければならない。建設するだけでなく、将来戦いがあればその手作りの騎兵集団をひきいてゆくのはかれであり、一人ですべての役を引き受けていた。この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯の日本の面白さはこのあたりにあるであろう。
(p.254)

好古が30歳のころ、実質的に日本を代表してフランスに騎兵を学びに行った